内陸県でありながら、3つの一級河川から水の恵みがある岐阜県。北ではりんご、南ではみかんが育つほど寒暖差がある気候も特徴です。本記事では、恵まれた土地の農作物と古くから伝わる発酵の知恵を活かしたレストラン「自然派料理店 糧」の魅力に迫ります。
2025.05.16-
目次
- 岐阜県産の食材で生産者を応援したい――「糧」のオープンにかけた思い
- 麹と暮らすシェフが出会った、岐阜の発酵という宝物
- 乳酸発酵の究極形態・熟鮓の世界
- 一皿で語る自然への敬意
- ランチでも、自然が奏でる皿上の交響曲を体感
- 探し、選び、形にする――自然の恵みにただ心を尽くす
- 岐阜の食材と発酵文化を一皿から感じ取る
岐阜県産の食材で生産者を応援したい――「糧」のオープンにかけた思い

岐阜駅からバスと徒歩で約20分。「自然派料理店 糧」は、長良川沿いの住宅街の一角にお店を構えています。
2021年に築100年以上の建物をリノベーションして、温もりある料理店としてオープンしました。

オーナー兼シェフの中根正貴さんは、フランスで料理を学んだのち、名古屋のビストロでシェフ研鑽を重ね、国内外の店舗立ち上げやプロデュースも経験しています。

岐阜との出会いは、新店舗の立ち上げでこの地を訪れたことが始まりでした。土地の自然や人のあたたかさに触れるなかで、中根さんの心には次第に変化が訪れます。
「名古屋で料理をしていた頃は、食材の生産者が見えにくいと感じることが多くありました。岐阜では、生産者の方々と直接つながれる距離感があります。それが何よりの魅力でした」
当初の思いから変わらず、「糧」では岐阜県産の食材を中心に使い、生産者さんの顔が見える料理店を大切にしています。

また、店名の「糧(カリテ)」にも中根さんの思いが込められています。カリテは、糧(カテ)の昔の読み方に由来し、フランス語で“上質”や“品質”という意味にもなります。
「岐阜の“品質”が味わえるお店に。生産者さんの生きる“糧”になるような存在でありたい」
その力強い言葉には、岐阜の土地への敬意と、料理人としての矜持がにじみます。
岐阜に強い熱意を傾けている中根さんですが、ご自身の出身は愛知県岡崎市。岐阜の食材以外にも、惚れ込んでいる魅力があるのでしょうか。
麹と暮らすシェフが出会った、岐阜の発酵という宝物

「糧」をオープンさせた後、中根さんが実感した岐阜からの思わぬプレゼント――。それは岐阜に受け継がれる発酵文化と、長良川の豊かな水源でした。
一級河川の長良川は、内陸県の岐阜にとって貴重な水源。長良川の伏流水を使用して、長良川沿いでは日本酒や味噌、醤油作りなど、多種多様な醸造文化が育まれてきました。
「糧」の料理にも、内堀醸造の熟酢や、恵那マルコ醸造の醤油など、岐阜ならではの発酵調味料が使われています。
この豊かな環境に後押しされ、中根さんも発酵グルメに挑戦。最初は料理のレパートリーや食の表現拡大のために始めましたが、次第に発酵文化の奥深さに魅了されます。
気づけば自宅に麹風呂を構えるほど、本格的に発酵文化に惚れ込んでいたそうです。

最近では、発酵の仕込み水に長良川上流域の山々に育まれた伏流水「高賀の神水」を活用。超軟水と言われる伏流水は、発酵の速度を早めるのにうってつけだと言います。
ゆずを塩漬けして1年分のドレッシングを仕込んだり、自家製の塩麹や米麹を育てたりと、中根さんの発酵探究は年間を通して絶え間ない情熱とともに続けられています。
中根さんが手がける発酵グルメの中でも、とりわけ異彩を放っているのが、岐阜県の伝統を受け継ぐ「熟鮓(なれずし)」。コース料理の一皿としてお肉の熟鮓を食べられるのは、県内で「糧」しかないと言います。
中根さんが並々ならぬ情熱を注いで作っている熟鮓とは、一体どのような料理なのでしょうか。
乳酸発酵の究極形態・熟鮓の世界

「熟鮓(なれずし)」を語る上で欠かせないのが、長良川で脈々と継承されてきた「鵜飼(うかい)」の伝統。鵜飼とは、鵜を使って鮎を獲る日本独自の漁法で、1300年以上の歴史を誇ります。
こうして獲れた鮎は、まず半年間塩漬けにされ、さらに炊いた米とともに半年漬け込むことで、発酵による旨味と酸味をまとった熟鮓へと姿を変えていきます。長良川の清らかな水、鮎の恵み、そして保存の知恵。そのすべてが、発酵の力で伝統料理・熟鮓に昇華されているのです。

現在、岐阜県内で熟鮓を食べられるのは、ごく限られた数のお店のみ。猛暑で鮎が溶けてしまったり、発酵の温度調節が難しくなったりと、希少性は年々高まっています。
中根さんも初めて熟鮓づくりに挑んだ際は、温度や湿度の調整に苦労したと言います。それでも発酵の途中で冷蔵庫に移して熟成を止めるなど、工夫を重ねることで、現在の味にたどり着きました。
中根さんが生み出す熟鮓は、1年熟成とは思えないほど鮎の食感と風味が感じられる逸品。ツンとくるような酸味ではなく、まろやかで鮎の旨みを静かに味わえる舌触りは、五感を使ってじっくり味わいたくなる魅力にあふれています。
その一切れに、長良川の恵みと人々の知恵が息づいている熟鮓。お次は、この究極の発酵グルメが食べられる「発酵コース」の魅力を詳しく探っていきます。
一皿で語る自然への敬意
今回いただいたのは、ディナーの「︎発酵コース」(9,000円/税込)。通常は発酵ツーリズム東海の開催期間中(2025年5月17日~7月13日)に、事前予約いただいた方に提供している発酵グルメ満載のコース(※)を特別にご用意いただきました。
冬の寒さが残る3月中旬。迎えてくれたウエイターさんにコートを預けて席に着くと、最初にドリンクが選べます。
昆布茶ではない「KOMBUCHA」の秘密

岐阜の地酒やワイン、豊富なお茶が並ぶ中、見慣れない「KOMBUCHA」の文字に思わず目が留まります。茶葉に水、砂糖、そして酢酸菌を加えて発酵させたクラフトドリンクだそうで、糧では煎茶、ジャスミン、薔薇の3種類のフレーバーが用意されていました。
「ドリンクの発酵って、ちょっと珍しいでしょ?」という中根さんの誘い文句に後押しされ、煎茶のフレーバーをオーダーしました。

煎茶のKOMBUCHAは、落ち着きのある草木の香りを感じ、口に含むとシュワリと軽やかに弾けます。
さっぱりと澄んだ味わいは、お肉にもお魚にも合うポテンシャルの高さを感じます。知らずに飲んだら、発酵ドリンクとは思いもしない爽快で馴染みやすい一杯です。
発酵ならではのコク深い味わいに感嘆

KOMBUCHAの奥深さに驚いていると、前菜とスープが運ばれてきました。
前菜には発酵白菜、スープには自家製米麹が活用され、まさに発酵尽くしのコースです。

発酵白菜のソースがかかった大根のふろふきは、舌を刺激する酸味と、ゆずの風味が混じった新感覚。
スープはじゃがいもの濃厚な甘みが舌に広がり、余韻に米麹のコクが残ります。
多種多様な熟鮓文化を一皿に

身体をゆっくり温めてくれる料理に酔いしれていると、中根さん自慢の熟鮓が登場。
ご厚意で、1年熟成と2年熟成、それぞれ味わいの異なる2種の熟鮓を食べ比べさせていただきました。

1年ものは酸味が控えめで、鮎の旨味がじんわりと伝わってきます。身がしっかり残っているため、噛みしめるほどに深みが増す味わいです。
続く2年ものは、やわらかくほぐれる身のあとに、燻製のような香りがふわりと鼻を抜けます。
どちらも珍味でありながら、伝統と旨味のバランスが絶妙に取れた中根さんならではの一皿でした。

続く温菜には、発酵ソーセージとも呼ばれる豚の熟鮓。豚肉、お米、塩、砂糖、ニンニク、唐辛子を混ぜて乳酸発酵させる保存食で、生の豚肉ながら乳酸菌の働きにより安全に食べられるのだそうです。
世界では、岐阜と同じく海がない国・ラオスで「ソムムー」という名称で食べられていると言います。
一口いただくと、レモンを絞ったような爽やかさに驚きました。ジューシーな肉の旨味と、発酵がもたらす軽やかさが同居した、力強くも洗練された一品です。
爽快、豪快――対極な2つのメインディッシュ

メイン2品には、ブロックで贅沢にいただける豚の熟鮓と、飛騨地鶏の炭火焼がお目見え。
よく煮込まれた豚の熟鮓は、熟鮓であることを忘れてしまうほどさっぱり、ほろほろのお肉。やさしい甘みのカブソースが、酸味をほどよく和らげてくれます。

一方の地鶏は、甘じょっぱい肉醤ソースと香ばしい炭の風味が絶妙に調和。旨味を閉じ込めた地鶏が、口の中で豊かに広がります。
発酵は味に深みを与えるだけでなく、酸味や香りとしてアクセントにもなる。そんな多面的な魅力を中根さんは、一皿ごとに丁寧に引き出していました。
※本コースの食材やメニューは変更になる可能性があります。2025年5月17日~7月13日の期間外は、予約時のリクエストでお肉や鮎の熟鮓をコースに追加が可能です(事前相談必須)。
ランチでも、自然が奏でる皿上の交響曲を体感

糧では金・土曜日限定で、ランチコースの提供も行っています。ランチでも岐阜産の豊かな食材を使った発酵グルメが、心ゆくまで体感できます。
糧のランチは、来店してからサラダやメイン、食事メニューが選べるセレクトスタイル。
今回は、発酵グルメをふんだんに使ったメニューを中心にいただきました。

前菜に選んだ「長良川天然鮎のドレッシング」は、丁寧な手仕事が感じられるサラダに、鮎を使った不思議なドレッシングが添えられた一皿。
身は見当たらないのに、鮎の香りとさっぱりとした酸味が野菜に自然に馴染んでいます。

2品目のスープは、自家製米麹で仕込んだ菊芋のポタージュ。クセやえぐみは一切なく、ヨーグルトのようにとろりとした濃厚さと、米麹由来の豊かな旨味が印象的です。

メインには、発酵生姜のジンジャーバグが添えられた鹿肉ローストをセレクト。くさみのない鹿肉は、ジンジャーバグとともに食べることで、より一層まろやかな風味に。
ジビエと思えないほど噛み切りやすく、赤身の上質さが際立っていました。

食後には、パティシエである中根さんの奥様が手がけた本日のデザートが登場。

店頭でも個包装で販売されているため、ちょっとした手土産にもぴったりな逸品です。
探し、選び、形にする――自然の恵みにただ心を尽くす

中根さんが糧のオープン時に掲げた「岐阜の生産者さんを応援したい」という思い。それはコースの一皿にとどまらず、使われる発酵調味料、店頭で販売される有機野菜、そして店内を彩る装飾品にまで、深く息づいています。
たとえばディナーコースで選べるクラフトドリンク「KOMBUCHA」。料理に使用される熟酢(加茂郡・内堀醸造)、醤油(恵那・マルコ醸造)、みりんや料理酒(加茂郡・白扇酒造)など、そのすべてが岐阜や愛知を中心とした発酵文化から生まれたものばかり。
糧の味を形づくる、大切なピースです。

中根さんはこう語ります。「うちで使っている食材や調味料で、生産者さんが分からないものは一つもない」。その言葉には、確かな自信と誠実な想いが宿っていました。
さらには、サラダを食べるときに使う箸や、ナイフ、椅子や机、照明に至るまで、岐阜県内の生産者さんにオーダーしていると言います。
受け継がれてきた技術と静かな誇りをもつ生産者の手仕事が「糧」に集い、そこからまた次の誰かへと受け継がれていく——。
そこには自然への敬意と、岐阜という土地を伝え、支えたいという中根さんの強い願いがにじんでいました。
岐阜の食材と発酵文化を一皿から感じ取る

生産者さんとの距離が近く、発酵文化が根付く岐阜県に魅了されている糧のオーナーシェフ・中根さん。
フランスや名古屋で腕を磨いたのち、岐阜の良さに行き着いた中根さんだからこそ、食材や作り手の魅力を皿の上で存分に表現できるのでしょう。
温度や湿度、微生物の活動が複雑に絡み合う発酵という手法も、彼の行き着いた一つの表現。
長良川の水、冬を越すために発展した発酵文化――それらが融合し、今この土地で“究極の発酵グルメ”として注目されていることは、奇跡のような感動すら覚えます。

糧へのアクセスは、JR岐阜駅からバスで9駅、「本町3丁目」で下車し、徒歩で2分ほど。タクシーでは10分程度で到着します。
また、岐阜城のある金華山からは徒歩10分ほどなので、観光とあわせての来店もおすすめです。
中根さんの想い、そして岐阜で育まれてきた発酵の知恵に思いを馳せながら、どうぞ一皿の美しい芸術をご堪能ください。
-
2025.04.16